カンボジアのはなし(+タイ)

8月にカンボジアに行ってきました。

カンボジアと言えばアンコール遺跡ですね。熱帯のジャングルを切り開いた地に残る石造の遺跡群。
3重の回廊を擁して中央に宇宙と交信する神=王を祭るアンコールワットの壮大さと、
回廊に見られるち密で優美、そして荘厳なレリーフに圧倒されました。 

この遺跡群は中世カンボジアを支配したアンコール朝によって建造されました。
カンボジア人の主要な祖先であるクメール人は、現在のラオス南部のメコン中流域から5〜6世紀に南下し、
802年にアンコール周辺を中心として現在のカンボジア地域を統一しました。
その後12世紀に、この王朝は現在のタイ領域も含むインドシナ半島の広範囲を支配する大王朝となりました。 

一方、お隣のタイでは少し遅れて13世紀に、メコン河上流から南下してきたタイ族の様々な勢力をまとめて
スコータイ王朝が登場し、1378年にはバンコクの少し北の王都を中心としたアユタヤ朝
このスコータイ朝を併合しました。

アユタヤ朝はさらに勢力を伸張し、1431年にはメコンを超えて
インドシナ地域最大の王都であったアンコールを滅ぼします。
こうして、現在に続くタイ王室にはクメール文化(元はインド文化)の濃い影響がみられるようになったのです。 

カンボジアで聞いた話では、アンコール遺跡群のある観光都市Siem Reap(シアム・リアプ)とは
「シャム(タイ人)を追い出した」(そして、もう二度と来るな!)という意味なのだそうです。
カンボジア王国は15世紀以降、西のシャムと東のベトナムから干渉を受け続け、
捨て去られた王都の遺跡は熱帯の樹木に覆われて廃墟と化したのです。
ついにはフランスの力を借りて両国の影響を排除したものの、
その後も植民地化、戦後は共産化、ポルポト時代、内戦とさんざんの苦難が続きました。
現在でも、一足先に開発が進んだタイ、ベトナムからの経済面を始めとした搾取が続いているようです。
アンコール遺跡でも、フランスやベトナムによってめぼしい物はみな持ち去られたとカンボジア人は言います。 

タイ人の感覚では、元々はシャム王朝の領土なのにフランスの植民地支配をはさんで
カンボジアに持っていかれた」という感じで、
同じ歴史が国境線をはさんで正反対になってしまうのかと不思議な気がしました。
でも、振り返ってみれば、日本も古来から交流の多い中国や朝鮮半島と同じような歴史を抱えていますよね。


(田中)